フーリエ倶楽部 ~リサイクル日和~
三重県名張市にあるリサイクルショップ「フーリエ倶楽部」です!おもちゃ・ゲーム・古着・CD・DVD・コミック・釣具・楽器などなどの買取、販売をしています!新入荷、強化買取、スタッフのイチオシなど更新中!
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初体験・・・&生還
みなさま、こにゃにゃちわ。お久し振りです。mokoで~す。
いやぁ、ブログ・・・「何もかもみな、懐かしい」このセリフにピンときた人、素敵です☆☆
分からない方は、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」part 1の最終回を観ましょう。(キムタク版にこのシーンがあるかわからないので。)
約2ヶ月振りなんですよね、ブログ。
私的なことやし、ちょっと長くなるので、時間のある方はお付き合いくださいませ。

10月初めの頃に一度、twitterで持病の喘息の発作が辛いってつぶやいて、皆さんからご心配おかけしてしまったことがありましたが・・・大丈夫と思ったんですよね。主治医の先生のとこにも行ってたし、発作止めの薬も持ってたし、安心してたんですが・・あれは、10月20日。
いつものようにフーリエで働いてたんですが、時間をおうごとに、発作が・・・発作止めの薬は一日4回までしか使用出来ないので、大事に使ってました。当日は16時までの勤務だったので、(用事があって)もう少しっと思いながら仕事していたんですが、ヤバイっと思った頃ようやく時間になり、早々にお店をあとに・・・これはマジヤバイ!かも。と用事をキャンセルして病院へ・・・行こうと思ったんですが、主治医の病院は午後の診察は18時から。仕方なく車の中でシートを倒して休んでました。最後の発作止めを飲み、ちょっと楽になったかな??なんて思いながら・・・気休めやけどね。

ふと15年程前の事を思い出しました。当時大阪で暮らしていた私は、その当時勤務していたお店に嫌気を指してました。人間関係が最悪で、仲良かった子達がいがみ合ったり、悪口言い合ったり、上司と不倫して贔屓されてる子がいたり、もう本当に最悪な状態でした。
このままここでいたら、きっと自分が嫌になる・・・とそこを辞めたんですが、どうやら身体的には手遅れだったみたいで、そこを辞めて数日後に発作が・・・中学の時にでっかい発作を起こしてから全く喘息とは無縁だったので、治ったとばかり思ってた喘息の発作。遊びに来ていた友人が、「病院行く?」と聞いて来たけどたいしたことないだろうと、思ってました。喘息を侮ったらダメってことは、自分が一番理解していた筈なのに・・
結局、友人が救急車を呼んでくれて、その時は3日程の入院で大丈夫でした。ただ、退院の時に医師から「あと30分来るの遅れてたら君、今頃死んでたで」と言われました。その後こっちに戻ったんですが。
その事をふっと思い出して、大丈夫やんなぁ?と自問自答。

17時になったので、看護士さんはいるはずと、病院へ。
私を見てすぐ「発作やね。しんどい思うけどもうちょっと待ってね」と言われ、しばらくすると主治医の先生が・・診察は後回しで、すぐ点滴をって事で点滴を打ってもらいました。いつもならそれで大丈夫なんですが・・・
点滴が終わっても一向によくならず、お医者さんが慌てて、今紹介状書くからちょっと待ってて。これ以上の治療ウチでは無理やから上野の岡波病院に。救急車を呼ぶから」とそこからが大変でした。看護士さんが家に電話してくれて、両親はそのまま岡波病院へ。私は救急車で。岡波に到着するまで救急隊員の方々が懸命に処置してくれ、はげましてくれました。
病院に付いて救急隊員の方に「大丈夫やから頑張って」と言葉を貰い、うなづく事しか出来なかったけど、嬉しかったです。
岡波病院でも医師の方はじめ、看護士さん達の懸命な処置にもかかわらず、結局よくならず、三重医大に行く事に。長距離という事で医師の方が一人付いて下さり、再び救急車にて津市にある、三重医大へ。
医師の方が「名阪確か、深夜工事してるから、渋滞してるかもしれん」と隊員の方に伝え救急車から本部?に問い合わせ、まだ大丈夫との連絡で名阪で津市へ。私は鼻に酸素チューブを付けていて、ちょっとくすぐったくって動いたりすると、すぐ救急隊員の方や医師の方が反応して、いろいろ対処してくれたり。
医大に着くと、雨が降ってました。傘をさして事務の方?が、私に雨がかからないようにしてくれて、なんかすごいなぁと、人ごとの様に思ってました。岡波病院の医師の方と救急隊員の方々に「頑張って。」と声をかけられ医大の方々にバトンタッチ。
レントゲンってベットに寝てても撮れるんですね。医学の進歩。レントゲンの機材が運ばれてくるなんて・・・コンパクトやけど。血液採取やら何やらすませ、集中治療室、いわゆるICUへ。いったいどれくらいあるねん。って思うくらいのドアを何度もくぐり到着。
病院のパジャマに着替え、ようやく一息。両親が呼ばれ(叔父夫婦もいました。)入院の手続きとか何やら話し、なんかいうことある?と言われ、丁度私の目線に時計があって、見ると23時過ぎ。お店まだ開いてると思い、母親に「フーリエに連絡して」と言い。その直後、私は意識を失いました。
あとで聞くと、とりあえず、入院に必要な物を取りに両親は自宅へ一旦戻ったそうで、仮眠をとろうとした明け方4時頃、病院から「自力で呼吸が出来なくなったので、人工呼吸器をつけます」と連絡があったそう。それから数日経っても、私が目覚めないので両親は半分あきらめかけてたそうです。お葬式に必要な私の写真を用意したり、
フーリエにも最期の言葉は「フーリエに連絡して」だったといってたらしく。
あっそうか、あのまま、息を引き取ってたらあれが、最期の言葉になったんや。と・・・いやでも、私は死ぬとは思ってなかったんですよね。あっもう大丈夫。って安心して意識失ったんで・・・だって変な話、私が死ぬときは、絶対枕元に来ると思って信じてる存在が現れなかったので・・・
まず、私を可愛がってくれてたらしい曾祖父、祖母達先祖の代表、なついて離れなかった愛犬愛猫たち、30歳という若さで事故死した友人、そして死神。誰ひとり枕元に現れなかったので、”あっ私まだ死ぬときやないんや”
って変な自信が?あったのです。ちなみに母にも聞かれたんですが、いわゆるお花畑的な場所には行けませんでした。冥土行きのドア?の前で長刀?を持った方々に「お前はまだこの先に行く事はできん」みたいなこと言われて、追い返されて、なんていうか、暗い夜道にポッと灯った灯りのような場所に出てそこからは、気がついたら所謂寝てる時に見る夢をみていた感覚。
で、本当に夢をみてましたね。何故かGacktと成宮くん?と遊んでました。でも私、別に彼等の熱狂的なファンってわけやないので、(ファンの方、ごめんなさい)未だに何で夢に彼等が出て来たのかわかりません。
どうせ見るなら猫ちゃすの影響でDOGが気になりだしてたので、彼等の夢見たかった・・・(あっ猫ちゃすごめん。)

で、意識戻りました!最初は朦朧としてたので、視界がゆがんで見えにくくボーっとした状態。私自身あれって目覚めたっていうかな?って感じ。でもね。覚えてるのは、人工呼吸器を外す時!!
まだまだボーッとした夢見てる感じの私に、付きっきりの女医さん?に「今から人工呼吸器外しますからね」と
言われ、何の事だか分からないままうなづきました。しばらくして、私のベットの周りには数人の医師と看護士さんの姿。????何事???って思ってるうちに、体に痛みが!!!!!!!!!
「し、死ぬーーーーーーーーー!!!殺されるぅ!!!!!!」と心の中の悲鳴が聞こえたのか、女医さんに
「痛いね。でももう少しだから」と言われ、ホッとしたら自分の口から得体のしれんもの(人工呼吸器やけど)が出て行った感覚。きっとアムロレイがニュータイプになるときに感じた痛みってこんなんだったに違いない。綾波レイの苦しみにも似た感じ・・・と思った自分って何てアニメオタクと思ったりしました。(笑)
でも本当に痛いんですよ!!肺まで入れられてたから余計かもしれないけど・・・入れる時は意識ないから、痛みとか感じないけれど、出す時って意識が回復して、自分で呼吸出来ると判断されたから、取り出すわけですよ。
メチャクチャ痛い!!何で私の周りに医師の方々や看護士さんたちが囲む様にいるかが分かりました。
取り出す時に、痛みで体が拒否るっていうか、暴れるまではいかないけど、でも七転八倒な感じなので、抑える為に集まってたんですね。
で、意識がまるっきりはっきりしてるのは、ある朝、看護士さんから「今日、何日かわかりますか?」と聞かれ
「??10月22日くらい?」っと声にならない声で聞くと「今日は10月29日ですよ」私「・・・?????えええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」と心の中で叫びました。だって記憶してる日付は20日ですよ!あれから10日近く経ってるなんて、信じられなかったんですよね。
人工呼吸器はずした後でまだ、数日経ってるだけだからあまり大きな声も出せず。
でも聞き取れるくらいの声は出てました。
それから病室が変わって(でもまだ不安定なので、ナースステーション隣のIRUって部屋)両親に新聞買って来貰って、確認。確かに29日。世界は進んでいて、いろいろなにそれってニュースが目白押し。
先日ナイナイの岡村っちが、めちゃイケで芸能ニュース見て驚いてたけど、あの気持ち、ものすごくわかります。
私なんか、楽しみにしていたフィギュアスケートのNHK杯を、見損ねたって事にもショックだし。(高橋大輔選手見たかったのに!!)ヒガシと木村佳乃が入籍してたことにもビックリだし。もう!!マジデ?って感じ。

話戻して、しかし人間って暫く、立ってないと一人で立ち上がれないんですね。久しぶりに立つ時、ふらついて全く立つ事が出来ず、看護士さん達に抱えられながらようやく立てた感じです。鼻にはまだまだ、酸素チューブ。
立つ練習歩く練習、いわゆるリハビリを少しづつしたりして。
全く何にも食してなかった胃袋にお粥をいれたのは、ICUから出て2日後。入院して12日余あとのこと。
退院決まったある日、衝撃的なことが・・・ミネラルウォーターが飲みたくなった私は病院内のコンビニで購入。病室で蓋を開けようとして、ショック!ペットボトルの蓋を開けられなかったんです。力が入らないといいますか・・・でも様子を見に来てくれてた両親は帰った後だし、忙しい看護士さんにペットボトルの蓋ごときで頼むのもどうかと思い、自分で開けようとするんだけれど、開けられず。四苦八苦の末、10分かけてようやく開けられました!「やったーー」と小さなガッツポーズ。
あと全く字を書いてなかったので、字が書けなくなってた事にもあせりました。買取表が書けない・・・・メチャクチャ練習しましたよ。小学生以下の字を読めるようにせっせと。まず、自分の名前や住所がミミズがはったような字だったので練習。まあ人並みに読める程度には最近回復してきました。まぁ以前から字が下手だったんですけどね。
しかし看護士さんは知らない間に、色んな事するようになったんですね。介護士のような事まで。あれじゃ体がもちませんて! だってね。意識戻ってふと気付いたら、足と手の爪がキレイに切りそろえられてたので、母親がしたのかと思ったら、看護士さんやというやないですか。あと体を拭いてくれたり、で通常の看護士の仕事でしょ?
やること一杯やないですか。マッサージしてくれたりもしました。
その上何やらまた、仕事増えるような動きあるでしょ?看護士さん過労死しちゃいますよ!!医師が不足なのはわかるけど、外科医、内科医、小児科医、婦人科医を減らしてしまったのは、政府でしょうが。医師の給料下げたり、研修医に研修したい病院選択させたり。それが現場に影響してるんでしょ?
入院するまで、あまり考えなかった事やけど、看護士さんや医師の方々が深夜勤務で忙しく働いてる姿を目の当たりにしたから(ナースステーションの隣やったから余計わかる)いま以上に看護士さんの負担になる事は反対です。
あぁ、でも生きてて良かった。周りの人達の愛情を、めちゃくちゃ感じました。
mokoは幸せ者です。暫くはマスク着用してますが、頑張ってフーリエで働いてるので、みなさん心配しないでね。もうメチャクチャフーリエ好きな事を、自覚しましたので、私フーリエに骨を埋める覚悟です。
なーーーんちゃって。長文につきあって下さった方々ありがとうです。まだまだ書きたい事は沢山あるんですが、今回はこれまでmokoでした。
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